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地獄のしゃちょーのブログ
ルーツは「亜細亜楼」
僕のルーツは、祖父が始めた中華料理店「亜細亜楼」にある。
子どもの頃から厨房に立つ背中を見てきて、
中華鍋の音や油の匂いは、生活の一部みたいなものだった。
特別な修行をしたわけじゃない。
でも、あの店がなかったら、今の僕はなかったと思う。
自分で店をやるようになって、
そして「地獄の担担麺」を作るようになって、
改めてそう感じるようになった。
血と一緒に受け継いだものがあって、
そこに妻と一緒に積み重ねた日常が重なって、
ようやく「地獄の担担麺」という形になったんだと思う。
― 地獄のしゃちょー
七夕まつりを終えて
七夕まつりの3日間、
いつもの担担麺を、いつもより多くの人が食べてくれました。
常連さんも、はじめての人も、
暑い中、並んでくれて本当にありがとう。
「七夕限定ってことで来ました」
「エビスが安かったから来ました」
「冷やしまぜ麺、気になってたんですよ」
いろんな理由があって、
いろんな顔が見れて、
こっちもなんか嬉しかったです。
僕らは特別なことはしてないです。
担担麺作って、ビール出して、厨房に立って。
でも、その日常に、ちょっとだけ季節の風が吹いたような。
そんな七夕でした。
次はお盆前。
また普通に、しっかり、辛いの作ります。
― 地獄のしゃちょー
味を安定させるって言葉、嫌いなんだよね
よく「味がブレないですね」とか、
「いつも安定してますね」と言ってもらえることがあります。
ありがたい言葉です。
でも、僕はよくこう言います。
「味を安定させるって言葉、実はちょっと嫌いなんだよね」
もちろん味を崩すつもりは一切ない。
でも“安定”っていう言葉には、なんとなく止まってる感じがある。
昨日と同じ味を出すっていうのは、
昨日をなぞることじゃない。
その日その時の気温、湿度、タレの立ち上がり、スープの濃度。
毎日少しずつ違う中で、同じように感じる味に仕上げること。
それを「安定」って一言でまとめられると、
なんか…雑な感じがする、と。
毎日、鍋の前で少しずつ合わせにいってる。
細かいとこまで気にしてる。
だからこそ、「変わらない」と感じてもらえてるんだと思います。
止まったら終わり。
僕はそう思っています。
15年の感謝の一コマ
15周年の感謝祭、
あっという間に過ぎていきました。
いつも来てくれるお客さん、
久しぶりに顔出してくれた人、
初めて来たけど雑炊でやられたって笑ってた人。
なんか全部、ありがたかったです。
で、その感謝祭のタイミングで、
まるで打ち合わせたかのように――
テレビの取材依頼が来ました。
でも、実際は15周年と全然関係ない企画らしくて。
番組のほうでやってる、あるテーマにうちがハマった…って感じみたいです。
別にテレビ出るためにやってたわけじゃないし、
“今だけ映えること”はやってない。
ただ、15年ずっと、
この担担麺を作って、出して、
食ってもらって、また作ってきただけ。
でも、たまたまカメラが回った日も、
その前の日も、今日も、たぶん明日も――
味は同じでありたいなと思います。
地獄の担担麺は、誰に向けてじゃなく、
いつも、自分のために本気で作ってる一杯だから。
15年のうちの、ひとコマ。
そんな日が、少しだけ特別に感じました。
― 地獄のしゃちょー